今回作っていただいた家系図が100年先・200年先の子々孫々の帰り道に灯る明かりになりますように。
宮崎県 小林市 MS様 34番大橙金襴家系図 5家系1冊パック 拝啓梅雨明けし、暑い日が続いております。
お変わりありませんか。
遅くなりましたが、先日(7月11日)、家系図一式を受け取りました。
大変すばらしい出来で、感激しております。
父や姉に見せたところ、「まさか、こんな物とは思わなかった」とびっくりしておりましたが、いろいろな話ができました。
以前にも、少しお話しましたが、今回家系図の以来をしてから、我家の旧墓地に、行って来ました。
同じ市内にありますが、私が小学校に入学するより前、まだ父方の祖母が存命中に、改葬して以来、行っておりませんでした。
記憶では、作業が終わった頃、祖母に連れられ墓に行ったところ、祖父が「・・・分からなくなるといけないから、昔のじいさんの墓だけ建てとった・・・」と言っていました。
私は、ずっと曾祖父の墓だと思っておりました。
しかし今回よく見てみると、それは、高祖父のものである事が分かり、しかも墓石には、「明治24年転籍 原籍地鹿児島県~」と刻んであり、涙の出る思いでした。
高祖父のために、曾祖父が建てた墓を祖父が守り、今私達孫の代にまで残しておいてくれた事が、うれしかったです。 ずっと、明かりを灯しておいてくれたのだと思いました。
家系図を作るという機会がなければ、分からなかった事です。
また我家は、鹿児島の「加世田」からだと聞いておりましたが、今回、隣の町(今は合併していますが)からだったと知り、2~3代の間に、話がおかしくなるのだと感じました。
祖母や曾祖母の家系も鹿児島からだと知り、ひょっとすると、婚姻もその縁であったのかな・・・と思いました。
母方の家系では、祖父が養子だとは知っていましたが、妹さんが居た事は全く知りませんでした。
祖父の方は、戸籍が破棄されていて、つなげる事ができなかったのが、残念です。
もしかすると、養父さんが実父さんだったのかな・・・とか、思いました。
曾祖父のお名前も過去張と違っており、母方の旧墓地にも行き、その墓地を作ったという記念碑(?)で、名前を確認して来て、おそらく読み方の音が近かったから、間違ってるのかな・・・と、自分なりに納得しています。
ついでに書きますと、母方の旧墓地がなぜあの場所にあるのかと疑問に思っていましたが、一緒に送っていただいいた戸籍集で謎がとけました。
本籍地からは、そっちの墓地の方が近いんですよね・・・
いっぱい、いろいろな思いが整理できずに、まとまりのないお手紙になってしまいましたが、今でも交通の便はあまりよくないこの町に、明治の終わり頃に来られたご先祖様達の苦労を思うと、頭の下がる思いです。
今回は本当にありがとうございました。
近々、叔父、叔母にも届けようと思います。
改めて、ご先祖様を身近に感じる事ができました。
今回作っていただいた家系図が100年先・200年先の子々孫々の帰り道に灯る明かりになりますように。
暑い夏がやって参ります。
皆様、お体に気をつけてお過ごしください。
今回は本当にありがとうございました。 敬具 行政書士 山﨑博之様
更新:2014年08月04日