解読いただいた結果、書かれている内容がこれまた素晴らしいものであることが判明し、大変感激いたしました。

兵庫県 宝塚市 YY様(2015.7.23)

山﨑さま

 

今回は古文書解読を速やかに実現いただき誠に有難うございました。

運よく大好きな歴史上の人物の直筆文書(掛軸)を手に入れることが出来たところま

では良かったのですが、肝心のその書かれた内容や意味が分からず何とか確認する方

法は無いかと思っていたところホームページで山﨑行政書士事務所さんを見つけてお

願いする運びとなりました。

 

解読いただいた結果、書かれている内容がこれまた素晴らしいものであることが判明

し、大変感激いたしました。この度は有難うございました。

【勝海舟和歌】

  かけとめむ てひきの いかりつなを なみたゝよふ ふねの しらすや   (解説) かけとめむ手曳きのいかり綱をなみただよふ船のゆくゑ知らずや   きちんと留めておきたいものだ、手引きの(手で引き寄せる碇)は綱がなくなる(切れると)と、波に漂う船となり、どこに行き着くのか分からなくなってしまうから。     (補足) 船の碇が切れてしまうと、船は波間を漂い行方知れずとなってしまうから、碇はきちんと結んでおけ、と詠んだもので、人や国とて同じこと、しっかりとした生き方や考えを失うと、人の道や国の行方を失うことを、暗に詠み上げる。「なみ」は「無み(ないのでの意)」と「波」を懸けている。海舟は明治以降「安芳」と記すことが多く、これは明治以前、幕末の頃に記したものと考えられる。   勝海舟(かつかいしゅう) 1823~1899 幕臣。西郷隆盛と会見し、江戸城を無血明けわたしに同意する。明治新政府成立後、海軍卿を勤める。義邦改め麒太郎。維新後は安芳と名乗る。海舟は号。  
かけとめむ手曳きのいかり綱をなみただよふ船のゆくゑ知らずや

かけとめむ手曳きのいかり綱をなみただよふ船のゆくゑ知らずや

                           
更新:2015年07月23日